階級別 フェザー レジェンド

我は神の子/「Prince」ナシーム・ハメド Vol.1

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いつもの回想インタビューはないけれどどうしても取り上げたいレジェンドなので全3回か4回に分けてお届けします。ナシーム・ハメド、彼こそ観ていて一番楽しい、驚異的、ミステリアス、ミラクル、ボクシングを好きで、彼の時代を共有できてよかったとおもう存在です。
凄まじい超人、いや人間とはおもえない・・・

今から約20年前、1997年12月19日に、プロキャリアで最も過酷なテスト、ニューヨーカーのケビン・ケリーと対面した時、「プリンス」という名の無敗のパンチャー、イエメン系イギリス人のナシーム・ハメドはアメリカに熱狂的なショーをもたらした。

「フラッシングフラッシュ」マジソンスクエアガーデンが舞台だった。

誇大宣伝はとてつもなかったが、試合は宣伝を上回った。4ラウンドのペース争いで6つのダウンがカウントされた。ハメドの勝利と同時に彼の課題も露呈されたが、彼のハートと能力は紛れもない本物であると証明された。そしてフェザー級であるにも関わらず、大金をはたく価値があることも。

ジム・ランプレイ(HBO)
「熱狂と興奮のかたまりで本当に楽しかった。全てが魔法のようでした。特別な贈り物のようでした。」

ジョージ・アザール(ジャーナリスト)
「かつて観た中で最もエキサイティングなファイトだった。まさにスペクタクルでした。」

ケビン・ケリー
「俺とハメドの試合がフェザー級とライト級の新しい時代、新しい価値のはじまりだった。」

ルー・ディベラ
「私はケビン・ケリーが大好きで今では友人だが、ハメドが勝った。新時代の到来だったのです。ハメドの時代というのがあったのです。それは長続きしなかったけど強烈だった。」

ギャレス・ダビエス
「ナズ(ハメド)は輝いていた。荒っぽくて大ホラ吹きだけど、彼はイギリスでナンバーワンのファイターです。」

ハメドVSケリーのゴングが鳴った時、HBOのラリー・マーチャントは尋ねた。
「はっきりさせたいんだが、ハメドというのは王子なのかカエルなのか?」

まず第一に、ハメドは「プリンス=王子」ではないが、わずか23歳でフェザー級世界王者となり、28勝26KOという記録で主要4団体のうち2団体の王座を獲得していた。

ハメド
「ジムのすぐ近くに住んでいて、中に入るとそれが自分のスポーツだと気づきました。雰囲気、ボクシングの動作、手足の動き、技術がすぐにわかりました。打って打たれない芸術、私はそのコツを知っていました。11歳から18歳までアマチュアでボクシングをして毎年全国的なタイトルを獲得しました。だからこれは私の仕事になるだろうと気づきました。若い時からプロでやろう、これで食っていこうとおもいました。」

ハメドは1992年にプロ転向し12試合目でヨーロッパバンタム級タイトルを獲得、1995年、21歳の時にスティーブ・ロビンソンを下して初の世界王座を獲得した。

ギャレス・ダビエス
「ハメドの周囲は熱狂と興奮に満ちていました。彼は派手で傲慢だった。彼は両手をそれぞれKとOと呼んだ。「俺はKでお前を倒しOでお前を倒す」イエメン系の子孫で彼の同類を牽引し多くの喧騒を起こした。ハメドにとってのアンジェロ・ダンディーはブレンダン・イングルだったのだが、このアイルランド人はシェフィールドに引っ越した。そしてハメドは王子になった。イエメンの王子に。中東からの自己使命、ボクシングの王室、ハメドはこれを成し遂げました。彼がイスラム教徒であることも魅力的だったのだとおもいます。

勝利は「神のご意思」だ。彼はそれを「inshallah(全てアッラーの思し召し)」という。イギリス文化の中の(差別される)イスラム教徒のシンボルでした。彼は傲慢だったので嫌いな人も多かった。しかし彼は圧倒的に勝ち続けた。みんなハメドを愛し憎んだ。ハメドは小さな男だが大きな足を持っていた。それが縦横無尽なパンチの源でした。ナチュラルで、滑らかでまるでアナコンダのようでした。彼は、相手の身体を包み込んで破壊するヘビでした。」

その後数年間、ハメドの独特で生意気なショーマンシップは注目を集め続けアメリカ中に拡大していった。レバノン系アメリカ人のジョージ・アザールはその評判を聞いてアラブ出身の無敗のハメドの次の試合を取材した。1996年6月8日、ニューキャッスルでプエルトリコの無敗、ダニエル・アリセアと対戦、ハメドは初回ダウンを喫した。

アザール
「ハメドがダウンしゴングが鳴って初回が終わった。この男は私が今まで観た中で最悪のファイターだった。誰もあんなにひどい光景を観たことはない。2回のゴングが鳴り、初回にダウンを喫したにも関らず、ハメドはアリセアをたらい回しにしてワンパンチでノックアウトしてしまった。おお、神よ、これは無視できぬ男だ。こうして私はハメドに興味を抱き、手紙を書いた。すると返事が来た。「ナズに会いに来ませんか?」私はシェフィールドに飛んだ。彼はランボルギーニで迎えに来た。彼の自宅、ジムでインタビューをした。ホテルに戻るとメッセージが来ていた。「あなたはナシームの家にいってインタビューしましたか?」私がはいそうですと言うと「今まで誰もナシームの家に入ることを許可された者はいません」と言いました。この時になるまでハメドがそんなVIPだとは知らなかった。

ハメド
「一流のファイターが示すサインは、パンチを打たれた時、どんな打たれ方(打撃の衝撃を抑える)をしたのか、またはダウンした時どのように立ち上がり、立て直していくかだとおもいます。私はそれをしたのです。あの試合の初回で偉大な、とても素晴らしいファイターであるダニエル・アリセアというプエルトリコ人に私はダウンを奪われました。私は試合の6週間前に彼を2回でノックアウトすると予言しました。そしてその通りになりました。彼はその後もう2度と同じ彼ではなくなりました。トム・ジョンソンと戦った時、たしか3回に私はタッチダウンをしましたが同じでした。8回に彼をノックアウトしました。その後彼は壊れてしまいました。」

ハメドのパンチ力は目をみはるものがあったが、それだけが彼を際立たせているわけではなかった。ハメドの民族的、宗教的背景もまた強烈なアピールとなり、長い間、スポーツにおいて民族的意識を根付かせる利益を奨励してきた。

アザール
「アラブ系アメリカ人、特に彼らの子供たちにとってハメドは私たちにとってのジョー・ルイスのようなものでした。アラブ系アメリカ人にとってのスポーツ界にヒーローは実際のところいませんでした。ヨーロッパにはいましたがアメリカにはいませんでした。野球、フットボール、バスケットの中にアラブ系のヒーローはいません。今では違うかもしれない。しかしナズが登場した当時、彼こそがアラブ系アメリカ人の民族意識を根付かせる最初のスポーツヒーローでした。

感情的な象徴でもありました。アラブ人コミュニティーを超えてイスラム教徒全体のコミュニティーにその波は広がっていました。パキスタンの子供達、ヨーロッパ中の少数民族の子供たちにとってナズが与えるインスピレーションは途方もないシンボルでした。私はそんな彼ら、ファンからのメールをみせてもらった事があるが、感動的なものばかりでした。ナズも勇気をもらった事でしょう。彼はボクシングの王者であるだけでなくもっと大きな象徴でした。」

ハメドのスターとしての価値は上昇しファンベースは拡大していった。しかし彼のボクシング能力に対する疑問は残ったままだった。彼のスタイルは控えめにいっても正統ではなかった。その後、トム・ジョンソンやマヌエル・メディナを撃破していくが、彼にはまだ証明すべきものがある、スタイルに対する謎や反論は渦巻いていた。

Vol.2へ続く・・・

井上尚弥を賞賛する記事ばかりが溢れかえり、食傷気味だが、疑問や課題を指摘する余地が何もないのだから仕方ない。パーフェクトだ。そんな絶賛記事の中で個性的だったのが内藤大介の言葉

「井上君には特徴がない(欠点がない)。普通これが凄いけどこれは普通とかあるけど全部すごい。だからもし対戦するとなったら玉砕的で通用しないだろうけど完全変則、超トリッキーで行く。」

確かにこんな意見しか出せない。

ハメドがそれに値するとかハメドと井上の対戦を妄想したりはしない。身長は同じくらい、井上はライト級のパンチと言われているがハメドは当時ミドル級のパンチと言われていた。

比較や妄想はしない。

言いたいことは、ボーっと過去の試合を観戦した時に今でも一番エキサイティングで衝撃的で唖然とするのがナシーム・ハメドのファイトだという事だ。

ハメドの言葉、奥が深い。確かにアセリアもジョンソンもケリーも、ハメド戦後敗戦が増え続けた。
ハメドにその後のボクシングキャリアまでノックアウトされてしまったかのように。

記事は続きますが私自身続きをまだきちんと読んでいません。
お楽しみに・・・

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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