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無防備のマスター/The Thunder(稲妻)アルツロ・ガッティ

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多くの記憶に残る戦い、刺激的な瞬間、多くの愛を示したアルツロ・ガッティ。真の戦士の心に感謝したい。彼は最もダイナミックな超人気ファイターとして永遠に記憶されていく。

アルツロ・ガッティ(Arturo Gatti、1972年4月15日 - 2009年7月11日)は、カナダの元プロボクサー。イタリア・ラツィオ州カッシーノ出身。両親ともにイタリア人であり、彼自身もイタリアで生まれたが、子供の頃にカナダに移住し、さらに10代の頃、アメリカのニュージャージー州へ引っ越した。

リング上では激しい闘争心を見せ、激しい打ち合いを好むファイター。その闘争心に火が付いた時の猛攻から「The Thunder(稲妻)」の異名を持つ。晩年の試合はディフェンスを磨き打たれずに打つ攻撃を見せているが、全盛期の戦い方はまさに肉を切らせて骨を断つような攻撃を見せた。相手に打たれたあとに、ノーガードで向かっていったりと観客を熱狂させる試合を見せることもあった。

ボクシングの原点である『殴り合い』を彷彿とさせるファイトスピリットを持っているため、アメリカ大陸など激しい攻防を好む傾向にある地域では戦績以上に人気の高い選手であった。

「ヒューマンハイライトフィルム」、「ブラッドアンドガッツウォリアー」、「カムバックキッド」これらすべてのニックネームがガッティに与えられた。The Thunder(稲妻)はそのうちのひとつに過ぎない。

彼のファイトをみれば恋に落ちるしかない。リングの中でガッティは人々を驚かせ、ショックを与え、怖がらせ、そして何よりもファンを笑顔にした。彼は決して観客を失望させない。アルツロ・ガッティはリングマガジンの「ファイトオブザイヤー」に4回輝いている。(1997年、1998年、2002年、2003年)

ガッティには記録や数字だけではわからない記憶がある。
恐らくボクシングの歴史上誰よりも打たれ、誰よりも病院に直行しているはずだ。

かつてオスカー賞を受賞したボクシング記者、バッド・シュルベルクは、ガッティのことを健康を危険に晒すことで大きな魅力を備えた「無防備のマスター」と称賛した。

2002年、2003年のアイリッシュ、ミッキー・ウォードとのトリロジーは、合計30ラウンドの容赦なき血まみれのアタックラウンドであり、ボクシングの歴史上最高のシリーズと言われ続けている。ガッティVSウォードの伝説の戦いに、ベルトがかけられていなかったことも興味深い。

伝説のリングアナウンサー、マイケル・バッファは勝者を「究極の血と勇気の戦士」と叫んだ。ガッティはウィードとの初戦に敗れ、後に2連勝し、17年間のボクシングキャリアで49度戦い40勝した。

アルツロ・ガッティは1995年にトレーシー・ハリス・パターソンを破りIBFスーパーフェザー級王座を獲得、3度防衛し、ボクシング界で最もエキサイティングで無防備な(ディフェンスが甘い)ファイターとしての名声を確立した。

2004年にはジャンルーカ・ブランコと空位のWBC世界スーパーライト級王座を争い2階級制覇、2度の防衛後にフロイド・メイウェザーJrに敗れ王座を失った。HBOの魅力的なファイターとして21試合戦った。

ウォードとの3部作に加えて、1998年のイヴァン・ロビンソンとの2連戦も伝説だ。試合はアトランティックシティで行われた。この試合にも世界タイトルマッチという安物を追加する必要はなかった。ガッティは2試合共に敗れたにも関わらず炎のファイトで大人気になった。

2000年、ニューヨークでジョーイ・ガマチェを2回ノックアウトした試合は物議を醸した。倒されたガマチェは昏睡状態に陥った。ガッティが前日計量から19ポンドも戻していた事がわかり、当日も一定の体重を超えないルールが新たに設けられ、当日計量も行われるようになった。しかしガマチェは「ガッティは実直な男だ。俺は彼を責めない」と述べた。

ガッティはブルーカラーから絶大な支持を集めた。ファンのためにドリンクを提供しサインのリクエストを決して拒まなかった。最後のヒーロー、逆転男として、戦うたびに15000人以上の観客を集めた。ファンはガッティの試合に何度も訪れるのでそれを「再会」と名付けたこともあった。

アルツロ・ガッティはモントリオールのセント・レナードでボクシングを始めた後、アトランティックシティからほど近いニュージャージー州ジャージーシティに移り住んだ。ファンはガッティのことをブルーカラーの移民を救った先祖返りのようにみていた。

ガッティはラスベガスで一度だけ戦った。2001年、オスカー・デラホーヤに挑むもTKOで敗れキャリア最高の140万ドルを受け取った。試合後は恒例のように病院に搬送されたが、ガッティは送迎したリムジンのドライバーに「すぐ戻るから待っててくれ」と言った。翌日、両目が切れてほぼ閉じたガッティはMGMのプールでファンや友人とパーティーをした。

2007年7月、ピークを過ぎたガッティはアルフォンソ・ゴメスに敗れ、ようやくボクシングを離れる決意をした。

「終わりだ、それだけだ。」

ニューヨークのストリップバーで出会ったアマンダ・カリーナ・バルボサ・ロドリゲス(ブラジル人)と結婚、1歳の息子と3人でブラジルのレシフェに近いポルト・デ・ガリーニャスのビーチリゾートで休暇中だった。

警察はガッティの若い妻、ロドリゲスを拘留した。

ハンドバッグのストラップでガッティの首を絞め、酔った彼の頭にステーキナイフを刺したようにおもわれた。ガッティが埋葬された時、彼女はまだ起訴されていなかった。

ガッティの死因は自殺とされた。

多くの記憶に残る戦い、刺激的な瞬間、多くの愛を示したアルツロ・ガッティ。
真の戦士の心に感謝したい。彼は最もダイナミックな超人気ファイターとして永遠に記憶されていく。

USBA全米スーパーフェザー級王座
IBF世界スーパーフェザー級王座
WBC世界スーパーライト級王座
IBA世界ウェルター級王座

40勝31KO9敗

アルツロ・ガッティに関しては、いい記事をみつけたらまた紹介したいとおもいます。偉大すぎて簡単に書けないレジェンドの一人です。

2013年、国際ボクシング名誉の殿堂博物館に殿堂入りしたが、記録によるものではなく、誰よりもファンに愛された、ボクシングを盛り上げた功績故だろう。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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