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笑顔の少年の怒り/(アメリカンドリーム)エリスランディ・ララ Vol.3

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個人が自由や未来を求めてはいけない国がある事実をどう捉えればいいのだろう。キューバの亡命戦士たちはそれぞれのストーリーを築きながら、いよいよキャリアの晩年を迎えている。彼らに続く若手はフィデル・カストロ亡き今も意外と少ない。オリンピックの金メダルを夢見て、キューバの青年たちは東京を目指しているのだろう。豊かな未来が来ると信じて。

処刑者は家主様/(ザ・パニッシャー)ポール・ウィリアムス

日本の石田順裕とも戦った、ポール・ウィリアムスはそれがまさかのラストファイトとなった。ドミトリー・ピログも石田が最後の相手となった。これは神のいたずらか・・・身長185センチ、リーチは208センチとい ...

アトランティックシティ

アトランティックシティのボードウォーク・ホールではファイターがジャブで場内の空気を切り裂き、青いキャンバス全体に激しくレーザーを放っていた。

1988年にタイソンがスピンクスを91秒でノックアウトし、3年後にホリフィールドがフォアマンからタイトルを守ったその会場には2000人のファンが集まっていた。彼らは皆、39勝2敗のキャリアを持つ長身のポール・ウィリアムスの応援にやってきた。

しかし試合がはじまると、小さなララはウィリアムスの長いリーチから逃げることなくリングの中央に自分自身を据えた。ウィリアムスは最後のフックに必殺の威力を込めてトリプルコンボを試みるが、ララはマトリックスの映画のように身をかわし左でウィリアムスのアゴを揺さぶった。

1ラウンドが終わると、ファンは驚いた。コーナーに座るウィリアムスが早くもプラスチックの漏斗に血を吐いていた。試合は台本通りにはいかない。しかしララはこれより以前もっと厳しい戦いに直面していた。

恐怖と幸福

例えばスピードボート。アトランティックシティへのララの旅は、メキシコ湾の海底で終わっていたのかもしれない。マリアナオのアパートから離れ、泳いでボートに乗った数時間後、船は6フィートの波にのまれ、横殴りの暴風雨で転覆しかけた。ララはボートの座席に必死にしがみついた。

ララ
「海で死ぬと思いました。メキシコ湾岸で、あの時のような恐怖を感じたことは未だかつてありません。」

12時間に渡るボートでの航海、暴風雨から暴風雨を乗り越えて午前2時、ボートは遂にカンクンの無防備でザラついたビーチに滑り込んだ。アフメド・オナーの助けを借りてパスポートを取得し、そのままドイツのハンブルグに飛んだ。ララはそこで5カ月過ごし、トルコでデビュー戦を行い、別のキューバのファイターの紹介で現在の妻に出会った。

2008年後半、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴでの短い滞在期間を経て、ララはついにマイアミに到着した。プロボクシングでは躍動した。15戦全勝10KO、ポイントは一つも失わなかった。

2009年5月、マニー・パッキャオの前座でクリス・グレイを破る前にララはラスベガスのチャペルでユディと結婚式を挙げた。数か月後、カップルには息子のランディが生まれた。

人生で初めて安定した収入を得て、彼らはエバーグースの閑静な通りにあるウェストケンドールに315000ドルの家を建てた。クロムリムを備えた派手な青いトヨタFJクルーザーも手に入れた。

ポール・ウィリアムスとの試合前の3月にララにテストマッチが訪れた。メキシコ系アメリカ人のカルロス・モリナとラスベガスで戦い引き分けに終わった。

ララ
「準備不足でした。」

ウィリアムスはモリナよりもずっと強力なビッグネームだ。ララはヒューストンを拠点とする有名なトレーナー、ロニー・シールズに師事し、6週間トレーニングをするためにサウステキサスに飛んだ。

シールズ
「ララほどハングリーな男は今まで一人もいませんでした。ウィリアムスは好戦的で手数が多い。ならば確実なヒットで上回ることに集中しました。」

それがまさに7月21日にララがアトランティックシティで演じた事だった。

ロイ・ジョーンズJr
「ウィリアムスがノックアウトされる前にセコンドは棄権した方がいい。これ以上続けると危ない。もうウィリアムスは勝てない。ララは強力だ。」

11ラウンドでウィリアムスのトレーナー、ジョージ・ピーターソンでさえ、真実を認めた。

ピーターソン
「勝つためにはララをノックアウトするしかない。聞こえる?ノックアウトしなきゃ負けだ。」

左目の出血を軟膏で止めながら忠告した。

HBOのスコアラー、ハロルド・レーダーマンはララの勝利を支持した。ESPN、USATodayら8人のリングサイドの記者や著名なボクシングのWebサイトでもララを明確な勝者とスコアしていた。

しかし、実際のスコアは、

ドナルド・ギブンズ:116-114
ヒルトン・ウィテカー:115-114
アル・ベネット:114-114

その後数週間、ボクシングライターと州の規制当局は全て同じ質問で殺到した。

大衆の無能

ESPNのライターはこのジャッジを「ボクシングの長年の歴史で最悪のジャッジ」と呼んだ。業界ブログの「Queensbury Rules」では「grand larceny=重窃盗罪」「obscene=不愉快」と見出しをつけた。

最終的に、ニュージャージー州のアスレチックコミッション、アーロン・デービスはジャッジのミスを認めざるをえなくなった。前例のない対応で4日後、3人のジャッジに無期限の資格剥奪処分を下した。

アーロン・デービス
「私の任期にこんな事態が起き恥ずかしくおもいます。ジャッジ3名は完全に過ちを犯しました。」

しかしデービスはこの過ちは癒着や腐敗ではなく、自発的な大衆の無能の結果であると主張した。

デービス
「これは孤立した事件であり、慣習ではない。」

ジャッジの一人、ドナルド・ギブンズは処分に納得がいかない。自分の採点を支持している。

ギブンズ
「私たちはテレビスタッフを満足させるためにいるのではない。自分の目で見たものを信じている。コミッショナーは私たちを処分する圧力に屈しました。彼は我々の後ろに立っていたはずです。」(その他2名のジャッジは回答なし)

ロバート・エクセル(ボクシング記者)
「話になりません。これらの問題の背後には、一定レベルでの腐敗構造があることに疑問の余地はありません。

多くの場合、プロモーターはジャッジに影響を与えます。プロモーターは誰が勝ったかによって受け取る報酬が違う。ウィリアムスが持ち帰ったのは13万5000ドル(敗者)ではなく150万ドル(勝者)です。

ウィリアムスのプロモーター、ダン・グーセンは3人のジャッジを選ぶのに何らかの発言権を持っていたと考えられます。ギブンズは大きな試合をジャッジした経験がありません。ウィテカーとベネットも1度しか経験がありません。」

ルイス・デ・クバス(ララのプロモーター)
「そこには盲目のネズミではなく3匹の腐ったネズミがいた。ララが勝つと報酬が低くなるからやったんだろう。」

グーセンには前科がある。彼は最初にいたプロモート会社から追い出され、金銭的な訴訟ばかりしてきた。2001年、デンバーを本拠地とするAmerican Presentsの社長に就任したが、多くのファイターからファイトマネーの未払いで大量の訴訟を起こされ、逃げるように辞任した。

マット・ティンリー(現在のAmerican Presents社長)
「グーセンはホテルや食事、娯楽など贅沢三昧だった。」

その後、グーセンは嫌がらせ、脅迫としてティンリーを訴えたが、ティンリーが反訴し2002年4月に法定外に落ち着いた。

2004年、グーセンは懲りずにGoossen Tutor Promotionsを設立、宝石商への95000ドルの負債を巡って、ファイターのジェームズ・トニーと共に訴えられた。ボブ・アラムのToprankとも法廷闘争を繰り広げている。

しかし、ダン・グーセンもニュージャージー州のアスレチックコミッション、アーロン・デービスも、疑惑を否定している。

デービス
「プロモーターは私たちの仕事に意見や発言権を持ちません。」

グーセン
「正直、この試合のジャッジ3名が誰なのかも知りませんでした。」

グーセンはこの試合は五分五分の硬貨投げのようなものだと言う。どちらに転んでもいいラウンドをHBOの解説者やゲストがララが有利なようにしゃべることが火に油を注ぐ原因になったと加えた。

グーセン
「彼らの解説を聞けば、公平な人でさえ実際にそこで起きた事をゆがんだ見方に変えてしまうかもしれません。」

失われた栄光の日々

ウィリアムス戦から3カ月、ララはクークーと鳴くハトの光沢ある翼を、荒れた傷跡の残る指で優しく撫でていた。手首を素早く動かして、ハトを解き放つ。真昼の光の眩しさを逆光にハトはどんどん高く飛び去って行く。

プロキャリア初の敗北という現実を受けて、実際には勝っていたとしても、永遠にloserと記録される戦いをきっかけに、ララはウェストケンドールのガレージで平和を見出していた。一方の壁には、柔らかい印象を与える手作りの木製ケージが並んでいる。

グアンタナモの少年だったララはハト小屋でよく遊んでいた。ハトの訓練もしていた。他人のハトを盗み母親に見つからないように隠す。母親が屋根の軒下に隠れるハトを見つけると首を鳴らした。

ララ
「ハトが飛び立つのがみたいだけです。私は道端に椅子を出して何時間でもハトをみていました。彼らはいつも戻ってくるんです。」

ララは、ボクシングライターや評論家が何週間も議論したような怒りを示さない。リングの外では穏やかでリラックスしている。

盗まれた勝利は、自分のキャリアよりもボクシング界全体の問題であることを知っている。

ララ
「私は心の中で試合に勝ったことをわかっている。だから落ち込んでいる場合じゃないんです。」

ロバート・エクセル(ボクシング記者)
「議論はララにしか役に立たない。ウィリアムス戦の前から多くの人がララの名前を知っている。ボクシングがわかる人なら誰もがララが勝者であることを知っている。」

ララにとって、偽りのジャッジは新たなる生のモチベーションだ。
そしてこの残忍なスポーツが生み出した全ての痛みを伴う犠牲に寄りそって生きる。
ハバナで父親のいない暮らしをしているエリスランディジュニアとロバーランディ。
グアンタナモの湾で一人歳を重ねていく母親。
彼さえ存在したことを忘れるよう命令される故郷で、永遠に失われるララ自身の栄光の日々・・・

太陽が昇る前の朝、ララはトロピカルパークのコースで、カジュアルにジョギングする人々やオフシーズンのフットボール選手と共に走りながら、次に来るものに備えている。

ララ
「いつか引退し、家族で旅行し、家庭を楽しむ日が来るでしょう。でも今私は戦い続けなければなりません。」

ポール・ウィリアムス戦を軸に、エリスランディ・ララの軌跡を辿るストーリーでした。

あれれ、記事を読む限りでは、ガールフレンド(妻じゃない?)のミリータと2人の子供(エリスランディジュニアとロバーランディ)を残したままアメリカでユディという女性と結婚しランディという息子がいる事になる(現在はヒューストンに妻と息子2人と在住となっている。)

これについては何も言えない、リゴンドーやガンボアよりモテそうだしとも言わない・・・

ララはこの「盗まれた勝利」である、ウィリアムス戦
人気差だけだったとおもわれる、カネロ戦
最終回に痛恨のダウンを喫したジャレット・ハード戦

以外に負けはなく、引き分けはあってもはっきりと負けという試合はひとつもない。
引き分けの試合も強いていえば優勢のような内容か。

アルフレド・アングロ戦は逆転KOしたが、ルールで露骨な嫌がらせを受けていた。

ポール・ウィリアムスはララ戦後に日本の石田順裕と戦い、それがキャリア最後となった。

キューバのボクサーは、判定勝ちでは勝てるかどうかわからず、引き分けは負けに等しく、それでも勝ち続けることだけが唯一の希望だ。帰る場所のない自分に負けは許されない、けれどKOしないと勝ちだとわからない、彼らのファイトはいつもそんな危険なバランスで揺れている。

だからアマチュアの記録が優れていてもプロで結果を残すものは意外と少ない。
夢を果たせず消えていった彼ら亡命者は今どこで何をしているのだろう。

そんな彼らの分まで、キューバのキャプテンとして最後まで走りぬいて欲しい。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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