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Mi Vida Loca-ミ・ヴィダ・ロカ=私の狂った人生/ジョニー・タピア

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リングの狂犬、ジョニー・タピアは悲惨で過酷すぎる人生の地獄に抗うため、破滅の道を進んだ。しかしリングの中だけは天国だった。リングだけが人生、ここでしか生きることができなかった。

ジョニー・タピアは自分が40歳を過ぎてもまだ生きていることに驚いていると言った。だから彼が故郷のニューメキシコ州アルバカーキの自宅で45歳で死亡した時、それは誰にとっても驚くべきことではなかった。

悲しい出来事だが、驚きではなかった。
タピアの苦痛に満ちた人生はようやく終わった。

タピア
「俺の母は32歳の時に殺された。だから俺が32歳まで生きるとはおもわなかったし生きたくもなかった。31歳になった時、その時が来たと感じた。カウントダウンがはじまった。」

タピアは人生の悪夢に取りつかれていた。それは誰もが知っていた。彼の腹には「Mi Vida Loca-ミ・ヴィダ・ロカ」スペイン語で「私の狂気の人生」というタトゥーが彫られていた。

「Mi Vida Loca」は2006年に出版されたタピアの自伝のタイトルでもあり、薬物中毒、双極性障害、自殺未遂などを含む悲惨で過酷な自己の物語だ。

タピアはマネージャーであり3人の子供の妻であるテレサや周囲の人々の最善の努力にも関わらず、自身の闇をコントロールできなかった。

テレサ・タピア
「ジョニーはいつも、俺のキャリアが終わったとき、自分がどうするつもりかわからないし、おそらく長続きしないだろうと言っていました。」

1967年2月13日に生まれたタピアは、8歳の時に母親がレイプされアイスピックで26回も刺され殺害されるのを目撃した。父親は母親が妊娠中に銃殺されたと聞かされていたが、数年前生きて刑務所から釈放されたばかりであることを聞いた。

子供の頃はいつも年上の体の大きな男と戦った。

タピア
「俺はピットブル(闘犬)として育った。死ぬまで戦うために生まれた。」

タピアは何度も投獄されてきた。計5回、薬物の過剰摂取で臨床死を宣告されたが、少なくとも45歳で死ぬまでは本当の死を逃れてきた。

計り知れない恐怖と苦しみ、薬物依存を経て、タピアは偉大なボクサーになった。タピアは試合の時は相手を母親を殺した殺人者とみなして襲い掛かったという。

テレサ・タピア
「ジョニーがリングに入ったとき、それは彼にとって単なる救い以上のものでした。それは彼のファンへの還元方法でした。」

そのおぞましい怨念は彼を偉大なファイターに変えた。1980年に新設されたジュニアバンタム級の歴史でベストを選ぶとしたら、タイの伝説カオサイ・ギャラクシーかジョニー・タピアだけだ。

いつの日かタピアがボクシングの殿堂で正当な評価を受けることを願うが、タピア自身は大衆から尊敬、崇拝されるためにボクシングをしてきたわけではない。

タピアは愛に飢え、特にアルバカーキのファンに愛された。彼は自分がどこから来たのか忘れることはなかった。

テレサ・タピア
「世界はジョニー・タピアというボクサー、一人の特別な人間を失いました。ジョニーは皆に会えなくて悲しんでいるでしょう。彼は世界にとって特別な光でした。彼は人懐こくて、友好的で、友情を永遠に大事にしていました。皆さまに惜しまれながら私たちの心に永遠に生き続けます。」

テレサはタピアが結婚日の当日でさえトイレでドラッグをやっているほどの中毒だったにも関わらず、タピア以上に優しい魂に出会う事はなかった。少なくとも私が知るタピアはいつも笑顔で抱擁をかわす気前のいいよくしゃべる男だった。

タピアはこの世を去ったが、彼の業績は永遠に忘れられないだろう。

アマチュアで優秀な成績を収めた後、1988年にプロデビューしたタピアは、ジュニアバンタム級、バンタム級、フェザー級の3階級で5度の世界王者になった。絶え間ないトラブルにも関わらず、彼はエキサイティングなショーを続けた。

タピアは決してノックアウトパンチャーではなかったが、超高速連打をみせたり、リングで踊ったり、インターバルでおどけたり、カメラに向かって叫んだり、常にみるものを夢中にさせた。

コカインの使用で3年半のキャリアの中断を経て、ヘンリー・マルティネスをノックアウトし最初の世界タイトルを獲得。
最大のライバル、同郷のダニー・ロメロとの対戦を含む13度の防衛をした。

WBO・IBF世界スーパーフライ級王座を保持したまま1階級上のWBA世界バンタム級王者ナナ・コナドゥ(ガーナ)に挑戦し、2-0の判定勝ちで2階級制覇に成功。

初防衛戦でポーリー・アヤラ(アメリカ)と対戦し、0-3の判定負けで王座から陥落。プロキャリア初黒星(49戦46勝1敗2分け)となった。この後タピアは薬物の過剰摂取により自殺を試みて施設に入院。

WBO世界バンタム級王者ホルヘ・エリセール・フリオ(コロンビア)と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得。同王座は1度防衛後に返上。

2階級上のIBA世界フェザー級王座決定戦でポーリー・アヤラと124ポンドのキャッチウェイトで再戦し、0-3の判定負けで王座獲得に失敗。

すでにタピアのプライムタイムは過ぎていたが、IBF世界フェザー級王者マヌエル・メディナ(メキシコ)に挑戦し、2-0の僅差判定勝ちで3階級制覇に成功。タピアは目に涙を浮かべて喜んだ。

指名挑戦者メディナとの対戦を拒否し、リングマガジン認定世界同級王者マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)との対戦を選んだため、王座を剥奪された。リングマガジン認定世界フェザー級王者マルコ・アントニオ・バレラに挑戦し、0-3の判定負け。

彼のキャリアはほとんどそこから下り坂になった。

その後も控え目にキャリアを継続するも、全盛期の力はすでになく、元王者のマウリシオ・パストラーナに勝ったまま試合から遠ざかった。

タピアの人生はただ狂っただけでなく悲劇的だった。2007年に彼はコカインの過剰摂取で入院し、義兄弟と甥は、タピアを見舞うアルバカーキに向かう途中の自動車事故で死亡した。

しかし私はタピアは再び戦うと信じていた。

通常、ファイターが年をとると、引退について囁かれるがタピアに対しそのように感じたことはなかった。彼は出来る限り戦うべきだとおもっていた。ボクシングだけが彼に生きる意味を与えた唯一のものであり、タピアが平和でいられる場所はリングの中だけだった。

試合の時は相手を母親を殺した殺人者とみなして襲い掛かった

恐ろしいまでの執念だが、試合が終わると相手と抱擁し大いに健闘をたたえ合った。
何も知らない自分には愉快で激しいファイターにしかみえなかった。

壮絶すぎる人生と違い、タピアのファイトはクレバーでテクニカルで高性能の超高速連打型だった。時は平成、日本にも平成3羽カラスなる有望な選手がいたが、バックボーンを知るにつけ、タピアと関わることなど別世界だったのだろう・・・

私にとっては独自の個性を持った愉快な男、超速エンドレスファイターだったタピア・・・
せめてあの世では穏やかに安らかに眠って欲しい。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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