パッキャオ原作オリジナル/(Lindol地震)ルイシト・エスピノサ
MANILA, PHILIPPINES: Filipino World Boxing Council (WBC) featherweight champion Luisito Espinosa (L) and Mexican challenger Manuel Medina (R) exchange blows duing the 12 round bout title bout in Manila 17 May. Espinosa, 29, retained his crown by a technical decision when the referee stopped the fight in the eight round after a headbutt by Medina cut wide and bled Espinosa's right eyelid. The champion was comfortabely ahead when the fight was halted. It was Espinosa's fourth successful defense of the title he wrested from Medina in Tokyo in 1995. AFP PHOTO (Photo credit should read ROMEO GACAD/AFP/Getty Images)

本当は、書きたいあの男たちがいるのだが、記者の選別やインタビューが不可能なケースもあるのだろう。実に微妙なリストだが、この男も古いマニアにとっては想い出深いファイターの一人だ。パッキャオのアンビリーバルな大活躍でフィリピンボクシングへの認識は大きくかわったが、ルイシト・エスピノサはパッキャオの奇跡に通じる、偉大な王者でありつつ最後まで未完の大器であり続けたとおもう。すごい素質、才能なんだけど、心身のコンディションにムラがありすぎた。

フィリピン史上最高のボクサーの一人に数えられるボクサーの一人がルイシト・エスピノサだ。「Lindol(地震)」、「Earthquake(地震)」のニックネームで知られるエスピノサはマニー・パッキャオ、ガブリエル(フラッシュ)・エロルデ、ジェリー・ペニャロサ、パンチョ・ビラと並んでフィリピンで最高のプロボクサーのリストに入る。

エスピノサにとっての不運は多くのプロモーターにとって「敵対者」であり、パッキャオ以前のフィリピン人はボクシングの世界市場においてはメジャーとして売り出す存在ではなかったことだ。

マニラ出身のエスピノサは1989年、WBAバンタム級タイトルをタイのカオコー・ギャラクシーから衝撃の初回失神KOで獲得。

3度目の防衛戦でイスラエル・コントラレスに5回KOで敗れると減量苦から階級をひとつ飛び越えてフェザー級で再起した。

日本のマッチメーカーのジョー小泉とマネジメント契約を結び、リングネームを「ルイシト小泉」に改名。アベジム所属選手として日本のリングを拠点に戦うようになった。

エスピノサは、メキシコのアレハンドロ・ラ・コブリタ・ゴンザレスにノックアウト負け。ゴンザレスは後にアメリカで有名になり、無敗のケビン・ケリーをノックアウトした。

元WBC世界王者のラウル・ペレス含む3連勝をし、日本の後楽園ホールでマヌエル・メディナに挑み異国の地で2階級制覇を果たす。2度目の防衛戦ではコブリタ・ゴンザレスを4回KOでリベンジ。米国で有名なケネディ・マッキニーの目を2回で潰し世界規模で注目度を高めていった。

4度防衛成功後の1997年、「日本滞在期間が6か月を満たしていない」という事情でJBC(日本ボクシングコミッション)選手登録から除外された(日本のジムに所属しているとはいっても、普段の生活と練習は母国で行っており、試合のたびにその都度来日していた)。これを機に、小泉とのマネジメント契約も解消。リングネームを本名の「ルイシト・エスピノサ」に戻した。その後、防衛回数を7まで伸ばした。

1999年5月15日、8度目の防衛戦。1996年7月の2度目の防衛戦でも対戦したセサール・ソト(メキシコ)と再戦し、12回判定負け。4年5か月間保持した世界王座から陥落。

https://www.youtube.com/watch?v=X9qC-F9LlqQ

2000年4月14日、世界王座返り咲きを懸け、グティ・エスパダス・ジュニア(メキシコ)と空位となったWBC世界フェザー級王座を争うも11回負傷判定負け。王座返り咲きならず。

多くのボクサー同様、エスピノサはキャリア晩年に中途半端な状態で戦い続け、2005年の引退までの6試合は4KO負けと迷走した。

現在エスピノサはカリフォルニア州のベーカーズフィールドに住みフィリピン武道のトレーナーをしている。UFCのニック・ディアスのトレーナーとしてMMAファイターのトレーナーにも挑戦している。いつの日かフィリピンに戻り、若いボクサーを育成したいという願いがある。

シャイなエスピノサは過去の想い出を、キャリアを台無しにしたいくつかの試合について後悔しつつ振り返った。それでも10人の元世界王者と戦ってきたキャリアを誇りにしている。

エスピノサ
「私はボクシングを通じてたくさんの事を経験したので嬉しくおもっています。」

ライバルについて

ベストボクサー アレハンドロ・ゴンザレス

コブリータは本当に強かった。インファイトが強くて悩まされた。再戦で彼をノックアウトできたのはラッキーパンチだよ。

ベストパンチャー アレハンドロ・ゴンザレス

初戦の彼は本当に強かったけど再戦でノックアウトした。

ベストディフェンス

カオコー・ギャラクシー、セサール・ソト、アレハンドロ・ゴンザレス
ソトとの2戦目で私は敗れたが勝っていたとおもう。ホームタウンデシジョンだった。プロモートの関係で敵地だったから負けたんだ。

ハンドスピード ハーリー・スニード

フットワーク ファン・ホセ・エストラーダ、ザヒール・ラヒーム

初回にエストラーダに捕まってしまい負けましたが戦い続けました。後になってから印象深いのはザヒール・ラヒームです。

ベストチン セサール・ソト

ベストジャブ ハーリー・スニード

スニードは素晴らしいボクサーでした。タフな相手でしたが8回にノックアウトしました。

屈強 ハーリー・スニード、アレハンドロ・ゴンザレス、ザヒール・ラヒーム

みんなタフでした。

スマート ザヒール・ラヒーム

彼が私に勝ったのはラッキーだ。彼のスタイルに混乱してしまったけど彼は打たれ脆かった。

総合 アレハンドロ・ゴンザレス

全盛期に私を倒した男だから。再戦ではノックアウトした。

短いインタビューの中でも、性格がよく出ている。南国気質であまり思慮深くないのだろう。誰に対しても、強かったが私が倒したとか勝てたとかラッキーとかあっけらかんとしている。

ジョー小泉氏がエスピノサの才能に惚れてマネージメントした頃、(ガンボア小泉なんてのもいたっけな。)マニー・パッキャオのマネジメントも依頼されたが、奔放なパッキャオの性格を判断し断ったという話を読んだことがあるが、当時は大柄でスケール感のあるルイシトの才能を高く評価していたのと、ルイシトの世話だけで大変だったというのもあるだろう。

この頃から素材だけはフィリピン人はすごかった。しかしお金が絡むと家族が絡み論理的な解決策はなくなる。パッキャオの成功は、ボクシングの才能だけでなく、正しく本場米国のインテリジェンスを身に着けたからだ。

当時、ただボクシングすげぇな、怖いなと楽しんでいただけの自分にとってのルイシト・エスピノサは

漫画のような怪物だな、でもすごい才能なのにもったいない部分がたくさんあるなという印象でした。心身のコンディションにむらっけがあり、ポカをよくする。負けるはずのない者に負ける。それはキャリアの最初から最後までそうだった。アレハンドロ・ラ・コブリタ・ゴンザレスも怪物的だったが短命だったな。

時代の運命、彼がパッキャオと同じような道を歩んでいたら、彼こそが最初のフィリピンセンセーションだったかもしれない。パッキャオの信じられない複数階級制覇、快進撃の原型がここにあった。パッキャオよりデカいしパワーも十分だった。

それにしても、初回で失神したカオコーをベストディフェンスに挙げているがあの試合は何だったのだろう・・・

才能と金と欲に翻弄されたフィリピンらしい天才エスピノサ。
記録以上に強いポテンシャルの持ち主だった。

カオコーはルイシトとの防衛戦で”ナゾの失神KO負け”を喫した後、そのまま引退しました。

世界タイトルマッチで発生した前代未聞の珍事件として、国際的に大きな話題になりましたね。八百長疑惑も当然のように持ち上がりましたし、倒れる直前にルイシトが放った左のダブル(ベルトラインへのボディ→顔面=確かにバランスを崩してはいる)が実は効いていて、ディレイド・アクションだったとも言われましたが、試合直後は確か原因不明のように報じられていたのでは。

てんかんの発作だったことが公表されたのは、いつだったのか・・・・引退発表と同時か、後か・・・・

後に映像を入手して確認したら、カオコーはすぐに意識を取り戻してインタビューまで受けている。何が起きたのかわからないといった表情で、本当に気を失っていたんだろうと思った(演技でわざと倒れたのではない)。

ルイシト戦の前にカオサイと同乗した車で事故を起こしており、カオサイは無事だったが、カオコーは入院したらしい。その時の後遺症(事故=外傷性)だったのではないかとか、文成吉との2度に渡る激闘のダメージが原因じゃないかとも言われた。

引退の理由についても、色々な憶測が飛び交ったように記憶します。大スポンサーであるギャラクシーの怒りを買ったとか、プロモーターのニワット氏から干された等々・・・

けれども「いつ発作が起きるのかわからない。そうした状態が明らかになってしまった以上、もう試合を組むのは不可能だ」と、そういうことだったようです。

世界戦で起きた珍事として広く知られてしまい、事実上ライセンス管理を行っていないタイ国内のみならず、どこの国でライセンスを申請しても、十中八九はねられるだろうと・・・・

引退後はギャラクシーグループのエンターテイメント事業(ノーハンド・レストランも有名でしたがマカオでラスベガス・スタイルのカジノ&リゾートホテルを展開するなど大きな事業を展開している)に投資させられ、スッテンテンになってホームレス同然の生活を送っているとの噂が流れたりしましたが、菊地奈々子との”監獄での世界戦”で有名になったノンマイ・ソー・シリポンのトレーナーとして、元気な姿を見せていた。

アナン元首相やプレム枢密院議長といった超大物が、結婚披露宴にわざわざ来賓として訪れたカオサイと違って、不遇を囲っているらしいと伝えられていたので、笑顔でシリポンに付き添う姿に安堵したことを覚えています。

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コメント一覧
  1. オーランド・カニザレスが名前を上げたのを知り、多少安堵しましたが、2階級王者にしては知名度の低さに驚きます。
    コントラレス戦前にはろくに走らないと聞いていたので、負けたのは仕方ないのですが。

    フリオやジョーンズよりも恐ろしい選手でした。
    ジョー小泉さんの助力で再生した後、メディナ、ゴンザレス、ソト、リオスと強豪を撃破しており、実績において当時は打倒ハメドの筆頭だと思います。

    しかし、こうしたことはあくまで客観でルイシトの奥方マリシアの見方は違っていた。
    ハメド側と交渉経緯もあったのですが、ハメド戦を不要とマリシアが思っていたらしい。

    表向きはルイシトと小泉さんの決裂は、ミンダナオ知事主催のリオス戦のファイトマネー未払いが原因でしたけど…小泉さんのハメド戦熱望を不愉快に思うマリシアに嫌われたこともあったように記憶しています。

    ただし、ソト第2戦後ルイシトが勝利していたら結局ハメド戦を強いられたはず。

    ルイシトと組む前に、小泉さんに多くの人があの夫婦に関わるのはよせと言われていたのを振り切っていたのだから、仕方ない話ですが。

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  2. 富士山さんの仰るように出会いは、一期一会なんですね。パッキャオはフレディーローチと出会いそこまでに大成ができたのでしょうね。私も富士山さんに共感です。ジョー小泉氏はボクシングジャーナリストではNO1の存在ですね。お会いしてみたら、ご本人はダジャレと下ネタ好きの親爺さんでした。

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  3. メヒコさんのコメント読んで感じましたが、小泉氏に断られたパッキャオは、その後アメリカに渡りフレディローチに出会いますから、運命の分かれ道ってありますね。
    あとジョー小泉さんは、日本史上最高のボクシングジャーナリストだと、私は思います。一方、フレディローチは名トレーナー。
    適材適所ってあるますねー。

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  4. 知ってる情報なので共有しておきます。ジョー小泉氏は、パッキャオvsチャッチャイの解説中、なぜパッキャオのマネージメントを断ったかに関して以下のように述べてます。要約です。

    練習を観た。攻撃に特化し過ぎてディフェンスを疎かにする。パワーはあるが、避ける感がない。強い弱いではなく、そういうタイプは好みではないから断った。

    性格も含めて、あまり相性が合わなかったんでしょうね(笑)

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  5. ルイシト・エスピノサですか、懐かしいですね。私にはルイシト小泉ですね。管理人さんのおっしゃる通りにスピード感と力感に溢れる才能豊かなボクサーでしたね。本人がもう少し真摯にボクシングに取り組めたらと、ご自身の指導力不足をジョー小泉氏が嘆かれていたのを何かで読みました。ルイシト自身は気さくで人柄は良かったらしいですが、お金にまとわりつく取り巻きで、身を持ち崩したらしいです。

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