スーパーキッズリアル/粟生隆寛

粟生のファイトが好きだった。
あと少しで過去の日本人のスケールを超える次元になるとおもっていた。
ディフェンスマスターにして意外な耐久力もあった。

しかし、あと少しが遠かった。

今週火曜日に、元2階級王者の粟生隆寛が正式に引退を表明した。現在36歳のフェザー級、スーパーフェザー級の元世界王者は2000年代後半から2010年代前半にかけて活躍した。

元ボクサーだった父広幸の指導の下、3歳からボクシングを始める。5歳から水泳も習い始め、小学校入学前に4泳法(クロール・背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ)すべてをマスターした。小学生の時に学校の課題で「将来の夢」をテーマとした作文を書いた時には、文章は「ボクシングで世界チャンピオンになりたい」とだけ書いて、余白には大きくWBCの世界チャンピオンベルトの絵を書いていた。

習志野高校在学中に、史上初のアマチュア高校6冠を達成。高校卒業と同時に帝拳ボクシングジムに入門。2003年9月6日にプロデビューし、デビューから3年半後の2007年3月3日に日本フェザー級王座を獲得。

2008年10月16日、世界初挑戦。国立代々木第一体育館でWBC世界フェザー級王者オスカー・ラリオス(メキシコ)に挑む。序盤から攻勢を仕掛け、4回にはダウンも奪ったが、後半以降、アウトボクシングに切り替えた王者を攻略できず、1-2の判定負け。惜しくも世界王座奪取ならず。プロ初黒星と共にアマチュア時代からの連勝も止まった。

しかし、この試合での善戦が大いに評価され、2009年3月12日、世界再挑戦。後楽園ホールでラリオスに再び挑んだ。WBCでは「より多くの選手に世界挑戦の機会を与える」という意向から、世界戦における直近の再戦(通称「ダイレクトリマッチ」)を原則認めていないが、前戦での健闘が評価され特別に許可された。

試合は序盤から挑戦者が優位に試合を進め、最終12回にはダウンも奪う。KO勝ちこそならなかったものの、3-0(119-107、118-109、116-111)の判定勝ちを収め王者に雪辱。念願の世界王座獲得に成功。帝拳ジムから通算5人目の世界王者誕生となり、日本人4人目の世界フェザー級王者となった。

2009年7月14日、世界王座初防衛戦。後楽園ホールで1位エリオ・ロハス(ドミニカ共和国)を挑戦者に迎えての指名試合であったが、ロハスの老獪なテクニックの前にポイントを奪われ、強引なカウンター狙いもかわされて結局12回判定負け(0-3)。 4か月で世界王座から陥落。

2010年11月26日、スーパーフェザー級での世界挑戦。
名古屋・日本ガイシホールでWBC世界同級王者ビタリ・タイベルト(ドイツ)に挑む。3回、左カウンターでアマ・プロ通じてダウン経験のなかった王者から初のダウンを奪うとその後も優位に試合を進め、3-0の判定勝ち。日本人7人目となる世界2階級制覇に成功。 なお、この日は同じ会場で「兄貴分」長谷川穂積もWBC世界フェザー級王座決定戦を行い、12回判定勝ちで2階級制覇に成功。兄弟分2人揃っての快挙達成となった。

ウンベルト・グティエレス
デビス・ボスキエロ
ターサク・ゴーキャットジム

https://www.youtube.com/watch?v=S7rqbJblhGg

らを下し防衛を重ねた。

2012年10月27日、東京国際フォーラムにて同級4位のガマリエル・ディアス(メキシコ)と4度目の防衛戦。序盤からペースを握られた上に自身初のカットをするなどし、0-3の判定負けで4度目の防衛に失敗し王座から陥落。

https://www.youtube.com/watch?v=HMLsxATlfJc

3階級制覇を目指し、ライト級に転向。

2014年10月22日、国立代々木第二体育館にて元WBA世界スーパーフェザー級王者で元IBF世界スーパーフェザー級王者のフアン・カルロス・サルガド(メキシコ)と対戦し、3-0の判定勝ち。

2015年5月1日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスのザ・コスモポリタン内チェルシー・ボールルームでテレンス・クロフォードの返上したWBO世界ライト級王座決定戦をファン・ディアスと行う予定だったが、スパーリング中に左肩の回旋筋腱板を断裂したことでディアスが欠場。代わりにWBO世界ライト級4位のレイムンド・ベルトランと王座決定戦を行うことになったが、前日計量でベルトランに体重超過があり粟生が勝利した場合のみ王座獲得となるという条件で試合は行われた。試合は2回にベルトランにダウンを奪われ、なんとか立ち上がるもベルトランの連打に為す術なくさらされたところでレフェリーが試合をストップ。2回1分29秒TKOで敗れて3階級制覇に失敗、王座は空位となった。

尚、ベルトランが8万5千ドル、粟生が5万ドルのファイトマネーを稼いだがベルトランの体重超過に対し罰金などの処分は科せられなかった。

2015年8月13日、ネバダ州アスレチック・コミッションの公聴会が行われ、違反薬物のスタノゾロールに対する陽性反応が出たベルトランに対し、9ヵ月間のネバダ州ボクシングライセンスの停止とファイトマネーの30%にあたる2万5500ドル(約316万円)の罰金を科すことが決定、上述のベルトラン戦は粟生の2回1分29秒TKO負けから無効試合に変更となった。

2018年3月1日、両国国技館で行われた「ワールドプレミアムボクシング27~THE REAL」でガマリエル・ディアスと62.0kg契約8回戦を行い、8回3-0(77-76、77-74、79-74)の判定勝ちを収め復帰戦を白星で飾るとともに、ディアスへの雪辱を果たした。

しかしその後試合を行うことはなく、2020年4月6日、36歳の誕生日に自身のInstagramのライブで現役引退を表明。

アマチュアボクシング:79戦76勝 (27KO・RSC) 3敗
プロボクシング:33戦28勝 (12KO) 3敗 1分 1無効試合

フェザー級とスーパーフェザー級の2階級制覇、ライト級でテレンス・クロフォードの返上したWBO世界ライト級王座決定戦をファン・ディアスと争う予定も代役のベルトランの反則オンパレードに未来を消された。

粟生のキャリアは今振り返れば濃厚だ。今フェザー級とスーパーフェザー級を狙える日本人は井上尚弥しかいない。ライト級はロマチェンコが牛耳っている。

粟生の全てのプロキャリアを見届けてきた。
彼が今に連なる、天才アマチュアキッズの先鞭だった。

ここでは書いていないが、榎洋之との試合は当時は田中恒成VS井岡一翔のようなドリームマッチだった。

十分な実績を残した。
再戦でオスカー・ラリオスを圧倒し、五輪メダリストのタイベルトにもスキルで上回り

ウンベルト・グティエレス
デビス・ボスキエロ
ターサク・ゴーキャットジム

をクリアした頃は頼もしかった。川島郭志に継ぐ、アンタッチャブルなディフェンスマスター、反射神経が素晴らしかった。ふくらはぎや首回りも太く、打たれ強い意外な面も持っていた。

しかしどうにもこうにもムラがあった。
あれだけ華麗なディフェンスの達人がガマリエル・ディアスの右をボコボコ食らう姿は想像できなかった。

小柄なわりに肉が付きやすいタイプだったのだろうか、減量苦でコンディションにムラがあった。これからと期待されたタイミングでコケてしまい、長谷川や内山のような人気と名声を確立できず、メインをはれずに終わってしまった。

しかし、本来持っている才能、センスだけなら彼らより上だったかもしれない。弟キャラの返上、自立を求め、最後は本場アメリカまで行ったそのキャリアは階級を考慮すれば十分骨太で偉大だ。

そんな粟生の最後が体重超過と薬物のサイボーグ、ベルトランだったのが悔しくて仕方がない。

あれは健全な試合ではなかったが、和製ザブ・ジュダーのようなセンスと勘の良さ、ディフェンスに長けた粟生でさえ打たれるのだというのは技巧自慢な日本のキッズに対する最高の教訓になるとおもう。

79戦76勝 (27KO・RSC) 3敗
高校6冠がみせた世界のリアル。

私は粟生のファイトが好きだった。
あと少しで過去の日本人のスケールを超える次元になるとおもっていた。
ディフェンスマスターにして意外な耐久力もあった。

しかし、あと少しが遠かった。

ほぼ全試合を堪能させていただきました。
36歳、十分やったとおもう。感謝!未来の活躍を願います。

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