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『歩』の駒やがて『金』となれ/(ブルドーザー)朴永均(パク・ヨンギュン)

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プロの世界を将棋に例えれば『歩』の駒が敵陣に入ると『金』になる。心を強く持って一歩踏み出せば世界は変わり、輝いて見える。
朴永均はまさにこのようなファイターだった。

韓国初のフェザー級の世界王者で、人間ブルドーザーと呼ばれた朴永均(パク・ヨンギュン)は1967年8月16日、全羅南道潭陽で生まれた。小学3年生の時、運動会で友人と喧嘩し相手をボコボコに殴る朴をみた担任教師は「お前はボクサーにでもなるのか」と言ったことがきっかけとなり将来ボクサーを夢見るようになった。

正式にボクシングを始めたのは高校2年生の時だったが、優れた資質を発揮し新人賞を獲得、日韓交流戦では日本のサトウノブキを3回ノックアウトした。88年7月に韓国スーパーバンタム級王座を獲得、しかし、11月27日の初防衛戦で崔在元に10回判定負け。王座から陥落すると同時にこれがプロ初敗戦となる。1989年10月29日、1階級上の韓国フェザー級王座を獲得。国内王座2階級制覇達成した。そしてまもなく東洋王座も席巻していく。

以後、朴永均は世界タイトルに目標を定めたが、簡単に実現できる状況ではなかった。WBA世界フェザー級王者アントニオ・エスパラゴサ(ベネズエラ)への挑戦が決まったが王者は31勝27KO1敗というキャリアを誇り、権威あるリングマガジンでP4Pの5位を占めるほど評価の高い名選手だった。

当時の朴永均は17勝10KO1敗1分、KO率も低い上相手はほとんど東洋の格下選手であり絶対的劣勢と言われた。韓国のファンでさえも朴永均の勝利を期待する者はほとんどいなく、不可能に近い挑戦とみなされていた。しかし予想を裏切り朴永均は奇跡を成し遂げた。

1991年3月30日、光州無等山ホテルで開かれたWBAフェザー級の世界タイトルマッチ、朴永均は序盤からブルドーザーのような突進を開始した。巨大な体力を前面に出してエスパラゴサに距離を与えなかった。ブルドーザー、それこそ活火山のように休まず責め立てる攻撃にエスパラゴサは途方に暮れる態度を示した。ファンはもちろん、マスコミさえ舌を巻く重戦車攻撃だった。

一体だれが王者で誰が挑戦者なのかわからなくなるほどだった。12ラウンドの長い攻防で体力配分のためには無謀な戦い方だと指摘されたが朴永均に休む考えはなかった。その結果、3-0の判定勝ち。クリーンヒットは決して多くなかったが無数のパンチを振り回した朴の手が挙がった。朴永均は世間の予想をまさにブルドーザーのごとく覆し世界チャンピオンの夢を達成した。

その後も王者になったことに慢心せず、人間ブルドーザーの凄みは増していく。日本で竹田益朗を軽くノックアウトすると次の防衛戦こそ朴永均のキャリア最大の難敵であり、エスパラゴサを凌ぐライバルに出会うことになる。エスパラゴサと同じベネズエラのエロイ・ロハス。彼は当時22戦全勝21KOという驚異的戦績だった。3回までのノックアウトが13回という恐ろしいハードパンチャーだった。朴永均のニックネームが「人間ブルドーザー」ならロハスは「人間地雷」と呼ばれた。

ブルドーザーと地雷の対決は、エスパラゴサ戦同様、朴永均の劣勢が予想された。

しかし試合はエスパラゴサ戦と同じだった。初回から朴のブルドーザー攻撃が始まり、右ボディがロハスの脇腹をえぐりダウンを奪う。何かが狂いはじめたロハスは突破口を見いだせず、朴の愚直なパンチの連打と体力にロープから離れることがなかった。結局、この試合も判定勝利で朴永均は2度目の防衛に成功した。

巨艦エロイを撃沈させた朴永均は逞しく成長し防衛を重ねていった。もちろん、エロイ・ロハスこそ最大の難敵でありその後の対戦相手はロハスほどではなかった。それでも、日本の浅川誠二や松本好二らは日本王者、東洋王者といったしっかりしたキャリアの持ち主だった。特に6度目の防衛戦の相手、コロンビアのエベル・ベルノは当時23戦全勝21KOであり、8度目のジョン・テシクも16戦全勝10KOという好選手だった。これらの挑戦を全て朴は強靭な体力で蹴散らしていった。

たしかに朴永均はテクニシャンとはいえなかった。技術的には稚拙だった。連打で相手を押し込んでもクリーンヒットが少なかったのも事実だ。無作為に手を出し続ける朴永均のボクシングに興味を持たなかったファンもいた。しかし彼の強靭な体力と精神力が誰よりも強かったことは否定できない。日本のボクシング漫画「はじめの一歩」の主人公、幕之内一歩は朴永均のような選手を象徴している。

プロの世界を将棋に例えれば『歩』の駒が敵陣に入ると『金』になる。心を強く持って一歩踏み出せば世界は変わり、輝いて見える。

朴永均はまさにこのようなファイターだった。

93年、エロイ・ロハスとの再戦で惜しくも2-1で敗れ、8度守ったベルトを2年9か月ぶりに手放した。しかしこの結果はWBAのベネズエラ本部の思惑が感じられる採点だった。95年5月、ロハスとのラバーマッチが組まれたが、ピークを過ぎた朴永均にはもはやブルドーザーの活力が落ちていた。この試合を再び2-1で落とし引退を宣言した。

エスパラゴサ戦のアップセット、凡庸なファイターが8度も防衛した朴永均はファンに大きな勇気とサプライズをプレゼントしてくれた。

28勝16KO3敗1分
第24代OPBF東洋太平洋フェザー級王座(防衛2度)
WBA世界フェザー級王座(防衛8度)

補足

世界王者はおろか、東洋王者もいない韓国ボクシング界の現状にもかかわらず、国内には5つの団体があるという。魚がいないのに漁師だけがたくさんいる今の韓国ボクシング界、池仁珍以降、ひとりの世界王者も排出していない。

そんな中、朴永均はサムスンジムにトレーナーとして入門しながら低迷した韓国ボクシング復活の起爆剤ブルドーザー(賞)」を作り、各地の大会で優秀な成績を収めた選手にMVPとして少ない予算から自費で表彰盾と激励金を渡している。表彰盾には35万ウォンかかっているという。

文成吉(ボクシングクラブ館長・ソウル市ボクシング協会副会長)
「中国の古書「中庸」には「人生八味」人生はお金を稼ぐためのものではなく、人生の意味を見つけるために働く「職業味」があるとされる。人生を正しく生きる人は、人生の味を知っている。味は、食べ物だけに感じられるのではない。朴永均は多くの財産を所有していない。しかしこれらの見返りのない活動が大きな響きとなって、一波万波(一波萬波)に広がって韓国ボクシングの変曲点になってほしい。」

最後はあの文成吉かな。イカす事を言う。

当時、日本では世界が遥か遠く、世界王者は一人もいなかった気がする。
竹田益朗、浅川誠二、松本好二、みないいボクサーだったし朴永均よりも技術も才能もあった。浅川誠二などは技術もパワーも上だった。

しかし、ひとたび朴永均のブルドーザーに飲み込まれると太刀打ちできなかった。体力、勝利への執念、忍耐、強靭さがまるで違った。技術より精神力に飲み込まれた。ファイティング原田の闘魂は日本ではなく韓国に受け継がれたかのようだった。

そんなブルファイター、根性の塊、朴永均、見た目は優しそうな青年で引退後も紳士な顔立ちだ。

こういうハングリーの塊が今の韓国からは消えた。
苦節の時を経て日本はスタイリッシュに復権を遂げた。
辰吉やそれに続くカリスマ、ボクシング関係者の努力の賜物かもしれない。

あの頃韓国は強かった。
朴永均には誰も勝てなかった。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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