自分にとっての英雄、心の支えであった西岡利晃が引退表明いたしました。
数々の名勝負、ドラマチックな現役生活、興奮と熱狂をありがとうございました。
レジェンド入りです。
私は日本人ボクサーで彼が一番好きで最高峰の選手だとおもっています。
それは人格や実力がどうというよりは、我を貫いて、ドネア戦まで到達したからです。
ジョニゴン、ラファマル、ドネア・・・
負けても、傷付いても、誰も知らんでもいい、俺は勝てる、強さを求めて行きついた頂にドネア、儚くも散った。
それがボクサーたる姿であるとおもうからです。
引退後の芸能界での活躍など、どうでもいいのです。
平成三羽カラスプラスワン
辰吉、鬼塚、ピューマ、川島
の後に出てきた天才ボクサー、ボクシング人気やマスコミの資質が変わったので人気、知名度の面ではわかりませんが、日本人ボクサーで最も本場世界に到達した、最高峰の実績を残したボクサーです。マニア以前の日本人ボクサーを正当に評価できませんが、階級の歴史や対戦者の質、海外での実績など総合的に判断し、閉鎖的、ホームタウンでの試合の多かった他の日本人を超えた、個人的にはナンバーワンのボクサーです。
救世主であり革新的な才能を秘めた辰吉がウィラポンに完膚なきまでに叩きのめされ、その敵を果たす筆頭株が当時の西岡でした。
西岡の日本王者時代、初期の頃は今よりスピードとやわらかさ、勘の良さがあり、自信、過信にも満ち、切れ味抜群の左で対戦者を倒しまくっており、この男が世界を獲らずして誰が獲る的なオーラを漂わせていましたが
良くも悪くも左一辺倒なボクサーで、ウィラポンのような隙のない相手には初戦、何もさせてもらえませんでした。
その後、宿敵ウィラポンと四度も対戦したのは西岡に対する期待の大きさが大きかったのでしょうが壁を越えられず・・・
どんな期待の星でも四度も世界戦に敗れたらもう終わりという空気漂う暗いムードでした。
その間に西岡よりはセンスや技術で劣る日本人世界王者も誕生し、自身の怪我、試合内容の悪さなど西岡は完全に過去の人になってしまいました。
そんな不遇の時を経て、やっとこさ、強敵(イスラエル・バスケスとラファエル・マルケス)が空いた暫定王座にフラフラになりながら王座を戴冠するまでに復活しましたが、正直この時点でも
やっとあの西岡が形の上では世界を取った。
よかったよかった。
でもギリギリの危うい王者ってところかな。
そんな印象でしたが、そこからドネア戦までの成長、成熟、スターへの階段は凄まじく熱狂的でありました。
バレラ等をみてきた田中トレーナーが帝拳ではじめて西岡を見たときは
「これがあの有名な西岡かぁ、正直たいしたことないな」
だったとどこかで読んだことがあります。
若手の台頭や周囲の目など、孤独で肩身の狭い想いも相当あっただろう、本当によくぞ復活、というか第二の進化を成し遂げたものだと関心します。
西岡のキャリアは多くのボクサー、ファンに夢と勇気と現実の厳しさを伝える貴重な記録だとおもいます。
国内であれほどに強く、抜きん出た存在でも現状で過信していては世界を獲れない
信念と努力があれば限界を超えられる、年をとっても成長できる
新人の頃から抜きん出た才能があり、国内敵なしとなっても世界を獲れず、それでも諦めず、さらなる進化と成長を成し得た西岡、
彼なら指導者となってもいい選手を排出できるでしょう。
ちょっと強いからってすぐには世界挑戦とか考えないのではないでしょうか。
ドネアほどのスーパーな王者でなければ今でもすぐに王座復活できる、そんなコンディションを維持しての引退
潔くかっこいい引き際なのかもしれません。
結果的に現役で一番長く観戦、応援してきたボクサーでした。
西岡の引退とともに自分のマニア魂も消えかかりそうな感じですが
長谷川、山中、内山など
まだ目が離せないボクサーがいる以上は小さな炎を絶やさずにマニアでいつづけようとおもいます。
全ての日本人ボクサーは西岡の切り開いた道を歩むべきであり、その実績を超えることが究極目標だとおもいます。
崇高で険しい道ではありますが世界最強の道は唯一この道だけです。
偉大な世界王者西岡に感謝と敬意を表します。