やんちゃで熱く、期待を裏切らない、人々がアスリートに求める要素を全て持つ彼は、全力で時代を駆け抜けた。
畑山隆則(24勝2敗3分19KO)アジア以外のボクシングファンは畑山のことはあまり知らないかもしれない。
中学時代は野球部に所属、エースで4番として活躍し、将来はプロ野球選手になることを熱望していた。
スポーツ推薦で青森山田高校に入学したが、先輩部員と対立し1ヶ月で退部。かねてより、同郷の元WBA世界フライ級王者レパード玉熊(国際)の世界戦を見ていたこともありプロボクサーも志望する。そして辰吉丈一郎(大阪帝拳)がWBC世界バンタム級王座を獲得した試合をテレビ観戦したのを機にプロボクサーになることを決意。高校を中退(引退後に再入学し卒業した。)し単身で上京し、初めにヨネクラジムへ入門するが、大人数の選手や練習生を抱える環境に馴染めず、程なくして京浜川崎ボクシングジムに移籍。同ジムにて韓国出身の柳和龍トレーナーと出会い、以後良きパートナーとして二人三脚でプロボクサー人生を送っていくこととなる。
1993年6月、17歳でプロとしてデビュー、アマチュアキャリアはゼロだった。
1994年2月13日、大阪府立体育会館にて小谷繁(グリーンツダ)と対戦し、3回KO勝ちを収めて全日本スーパーフェザー級新人王となり、試合後にはMVPを獲得。以後、8戦8勝(8KO)
1997年10月5日、両国国技館にて世界初挑戦としてWBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙(韓国)に挑戦するも、1-1(116-114、114-116、114-114)のドローで王座の獲得に失敗。1998年3月29日、両国国技館にて再起戦として18戦無敗の日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢(草加有沢)に挑戦し、9回TKO勝ちを収めて王座の獲得に成功。お互いに無敗同士となったこの試合は「史上最大の日本タイトルマッチ」と称され、全国ネット生中継でフジテレビの昼間に放送された。その後、世界再挑戦準備に専念するため、日本王座は防衛することなく返上した。この試合は日本タイトルマッチとしては9年ぶりの年間最高試合に選ばれた。
https://www.youtube.com/watch?v=g8vFO9nHsgY
続きはこちら
[st-card-ex url="https://forgotten-legend.com/legend/92065" target="_blank" rel="nofollow" label="" name="" bgcolor="" color="" readmore="続きを見る"]